写真フィルムのいちばんの魅力は残せるということ。デジタル画像はボタンひとつで消えてしまうけれど。
ひとは、時として過去を消そうとする。まるで、時間をリセットするかのように。
人生はリセットできない。
同じように、写真の時間は消せない。
自分に嘘をつく人間は、他人にも嘘をつく。自分をよく見せようとして背伸びしても無駄なのに。
結局、バレるんだよね。まず、自分に。
そもそも人は、愚かで未熟なところがあって当然だ。最初から、すべてを受け容れたほうが潔い。
いちいち理屈を並べて、守備を固めてしまうひとは可哀想だ。小さな世界にいつまでも閉じこもっているひとは可哀想だ。
ひとを愛せなくなるのは悲しい。
たとえ、思い出したくない過去があっても、消すことはできない。
どんな過去も、辿って来た道だ。足跡を消そうとしても、迷子になるだけだ。
忘却というツールをつかって、しっかりと整理すればいい。前を向いていれば、過去を閉まったその箱に手をのばさなくなるのだから。
フィルムのいちばんの魅力は、受け容れられるということ。
人生は、デジタル画像のように上書きできないから。
記憶を自分で選べるということは、ある意味、俺は幸せかもしれない。
そして、記憶と同じように、ひとの視覚にも限りがある。
写真フィルムはそんな見えないものへの欲求を満たしてくれる。
余韻。
カメラは時間を捉え、フィルムはその痕跡を残していく。ネガを見つめ直し、印画紙を液に浸す。まるで眠っていた感情を揺り起こすような作業だ。
液の底で画像が浮き上がってくるなんて言うが、浮き上がってくるのは感情だ。感情がよみがえってくるのだ。
フィルムの記憶とは感情を記録しただけで真実とは異なるかもしれない。だけど、その感情が俺にとってリアルなんだ。
感情が『 いま 』を支えている。