1995年7月
2005年1月
親父とおふくろ
このひとたちと暮らした時間は、俺が生まれてから15年ある。
だけど、一緒に過ごした時間のなかで、いい記憶なんて残ってない。
悪い記憶ばかりだ。
ガキの頃から、俺は親戚の家に泊まったり、友達の家に泊まったりしていた。
両親は貧乏のために、ひたすら働くしかなかったんだろう。
だけど、俺は寂しいと思ったこともなければ、他の家族をうらやむこともなかった。
15才の時、家族というカタチが大きな音をたてて崩れていった。
親が離婚しようが、借金かかえようが、俺には関係ない。
親が金をもってなきゃ、自分で働けばいい。
学校も、友達も、将来も関係ない。
シンプルな話だった。
少年は、そう考えて家を出た。
そう、まさに尾崎豊のようにハイウェイをかっとばしてみたわけだ(笑)
以後、30年近く、この親と子の距離はかわらない。
そもそも、家族のカタチなんてものがあったのかどうかもわからなくなる。
親父とは、まったく口をきかない。
会いたいなんて思ったことはない。
ただ、おふくろのために、実家に行くようにしている。
カメラも持って。
俺とこのひとたちとの間に、残しておきたい記憶なんてなかった。
だけど、
写真をはじめてから、そんな気持ちが変わっていくのを感じた。
俺が、撮ったこのひとたちの写真は残しておきたいと感じたのだ。
いい顔してるじゃねーか。
写真以外で、こんな両親の表情をみることは不可能だ。
写真は、まるで瞬間的な魔法のようだ。
いい写真だ。
もし、写真を記憶と呼べるなら、大切に残しておきたいと思う。
この一瞬だけを信じたいと思う。
ようやく、心の欠片をみつけたのだから。
結局、俺はこれで満足している。
「 あなたに苦労ばかりかけて申し訳なかった 」
おふくろは電話をかけてくるたびに、そう言って泣く。
「 話が古すぎて覚えてねーわ 」俺はこう言って笑う。
俺の親父に対する、怒りなんてもうないんだよ。
俺の悲しみという痛みはもう癒えたんだよ。
あなたたちが、この先の限られた時間を元気に過ごしてほしいと思うだけだ。
今日、写真ってスゲーな、と思った。
でも、しばらくたって、
いいや、俺のカメラマンとしての腕がスゲーんだな、と思い直す(笑)
2014年10月
Nikon FM2 50mmF1.8 Kodak PORTRA160NC
PENTAX67 TAKUMAR90mmF2.8 Kodak PORTRA160NC
photographer 高野勝洋