高野勝洋と北京

 

新しいものを作ろうとするとき、自身の日常から逃れてみたいと思う。

自分の文化的なルーツから逃れて、外の世界を体現したいと思う。

非日常的な考えの中で、迷子になってみたいと思う。

そういう思いを手っ取り早く実践できるのが、旅なんだと思う。

だから、「俺はアーティストだ」とか「俺は料理人だ」というように「俺は旅人だ」と職業を名乗るのはアリなんだと思う。

いわゆる、ガイドブックを持った観光者とは区別されるところの所以なんだろう。

もちろん、旅の濃度が問題になってくるが。

 

高野勝洋の作品北京の人々高野勝洋の旅北京の町並み高野勝洋の写真北京の町並み

 

『すべての秘境は征服されてしまった』

と誰かが大声で叫んでいたが、まさにその通りだと思う。

今の時代、地球上のすべての場所が撮り尽くされた感がある。

だから、旅の体験をいったん自分の中で内面化し、写真として表現するしかない。

つまり旅の要素こそが写真的であり、時間性こそが写真だということだ。

そういう意味では、写真はドキュメンタリーという手法でつくられたフィクションなのだろう。

 

高野勝洋の写真カメラマンと北京中国と高野勝洋北京の人々高野勝洋の写真ゲームをする子供北京の夜 katsuhirotakano_photographer_beijing_44 高野勝洋の作品写真家の旅

  PENTAX67  TAKUMAR90mmF2.8 FUJI PRO160NS
Minolta α-9  50mmF1.4  FUJI natura1600

photographer 高野勝洋

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