Hey Jude

高野勝洋の息子

息子と船に乗る約束をした。

『 海をみよう。そして、船に乗ろうよ 』

 

だが、ある日、息子は妻に容赦なく連れられて家を出て行った。

父親と母親はすでに離婚の手続きを済ませていた。

高野勝洋の息子の写真

次の日、不意に、息子は俺の家に戻ってきた。

お父さんと船に乗る約束をしたからだという。

『 わかった 』と俺は答えた。

息子が生まれた時の写真

 

俺と息子は船に乗るために港へ向かった。

その日は同時に、写真コンペの応募締切日でもあった。

『 閉じる日 』という作品を提出する予定だった。

写真コンペの受付が東京・銀座のオフィスビルで行われていたのだ。

『 コンペの手続きが終わってから、お台場の港にいこう 』俺はいう。

車の助手席で、息子は小さくうなずいた。

首都高をつっ走り、銀座で降りた。

車を駐車するスペースがなく四苦八苦した挙げ句、とりあえず子供と作品を現場におろし、ここで待つように指示した。

しばらく、銀座界隈を徘徊してようやく駐車場をみつけたときはもう三十分は過ぎていたと思う。

俺は息子が心配でオフィスビルまで必死に走った。

現場に着いてみると、さっき停車した場所に子供の姿はなかった。

 

会場の奥に長蛇の列が見えた。まだコンペの応募受付は続いているようだった。

なかを覗くと、列の真ん中でひとりの子供がみえた。

 

大人たちに紛れて、小さな子が俺の作品を抱えて並んでいた。

息子は、俺の姿をみつけると嬉しそうに笑った。

 

katsuhirotakanoの作品

道の上にはたくさんの言葉という目印がある。

だけど、時として、どれが自分にとって大切な目印なのかわからなくなる。

言葉なんて、そんなものだ。

 

当たり前のことだが、自分の言葉と他人の言葉は違う。

なのに、そんな言葉の解釈の些細な差が、人との争いの種になったりする。

ひとは言葉にしがみつかないと思考が混乱してしまうんだろう。

言葉に執着するのも、ひとの弱さなんだろう。

子供が笑っている写真

 

辿ってきた目印が誤っていると感じた時、ひとは立ち止まるしかない。

時間という空虚な空間をみつめるしかないのだ。

所詮、時間も、言葉も虚しい。

後悔しても遅い。

 

言葉は所詮、目印でしかない。

結局、前をみて歩くしかないのだ。

 

高野勝洋の作品

 

結婚という山の道中は、辛いことばかりでも、登れば登るほど新たな喜びを味わえる。

どんどん景色は変わっていく。空気さえも。

素晴らしい感覚なんだよね。

もっと登れば、もっと素晴らしい景色がみれるという希望が結婚なんだろう。

そんな目的や希望を共有するのが、結婚なんだろう。

頂上に達したとき、目の前にもっと大きな山がみえる。

次は、あの山に登ろうという希望が、結婚なんだろう。

 

高野勝洋の作品

言葉なんていらない。

実感に頼ればいい。

手を握った感覚を信じればいい。

 

だけど、もう無理だ、と途中で進むことをあきらめてしまえばそんな美しい希望は一気に消えてしまう。

ここまでだと、どちらかが歩を止めれば一緒に下山しなきゃならない。

 下山しているとき、景色も空も目に入らない。

ついには、登ってきた過去さえ否定してしまう。

自分を守るためにパートナーさえ、否定しまう。

 

これが、もっとも辛く、しんどい。

息子の後ろ姿

大事な記憶を忘却してはいけない。記憶の選択をあやまってはいけない。

 

写真は、そんな愚かな自分を救ってくれた。

写真は、すべてを受け容れるツールだからだ。

 

息子の寝顔
息子の運動靴

だれでも失敗はするもの。しかし、それは前進しようとしている証拠だ。

一度駄目でも、また別の山の頂上を目指せばいい。

 

部屋に脱ぎ捨てられた息子の靴下

道を間違えてしまうこともあれば、天候が悪くなることもある。

体調を悪くすることもある。

ときには、背負ったリュックの底の『 過去 』というウエイトがしんどいと感じることもある。

どんな問題も、パートナーと共有しなければならない。

弱さや、愚かさや、未熟さも共有するものだ。

 

息子が父親の為に書いた言葉

山の大小はカンケーなく、山は登っていたいと思う。

いちいち理屈をならべる必要なんてないから。

下をみるより、上をみるほうがずっと楽しいから。

 

CONTAX RTSⅢ  CarlZeissPlanar 50mmF1.4   Kodak TRI-X400

Nikon FM2  50mmF1.8 Kodak  PORTRA160NC

photographer 高野勝洋

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