写真とは「断片的に時間を記録するメディア」でしかない。
動画というメディアでも、そこに映るのは実際に生じたできごとの「断片」でしかない。
写真とは異なり、動画には音声が伴うが、どちらもカメラのファインダーというフレームによって切り取られた映像という点では同じであり、そういう意味では虚構であり、フィクションなのだ。
しかし、「それを取り囲むものがいろいろに想起されること」については、写真と動画の間に、かなりの違いがあるように感じられる。
一枚の写真を見るということは、カメラが捉えたある一瞬の記録を目にするという体験である。
そこに焼き付けられたものは、ひとつのイメージであると同時に、長さのない「点」としての時間でもある。
写真を見るとき、ひとはその瞬間に確かに存在した光景や人物を目にして、直接的に写ってはいないそれらの過去と未来に、さまざまな想いを馳せることになる。
報道写真のような他者の記録でも生じる体験だが、 自分自身の記録である場合、それは一段と鮮烈な「想起」をもたらす。
記録と記憶。
それらがどのように取り出されるかを考えると、違いはより明らかになる。
記録は、元どおりの形で「再生」または「復元」される。
しかし、記憶は、ひとそれぞれの形で「想起」されるのだ。
Nikon FM2 50mmF1.8 Kodak PORTRA160NC
PENTAX67 TAKUMAR90mmF2.8 Kodak PORTRA160N